天命

レース主催までの道のり



挑戦のはじまり
僕、川島孝一は2006年から2019年まで
「はじめの一歩のきっかけをつくる」NPO法人で活動をしていました。
2011年3月11日東日本大震災が起きた日、福島にいました。
すぐに緊急支援に携わり、活動していく中で、
「自分のできるやり方で笑顔や希望をどのように増やすことができるか?」
と自分に問いかけるようになりました。
自問自答していく中で、「100」と「マラソン」というキーワードがでてきて、
「100kmマラソン」に挑戦をしました。
挑戦したことで、応援していただいた方から
「勇気がでました」「私も何かに挑戦します」とコメントをいただいたことで、
「自分のワクワクすることをやることが、誰かの勇気に繋がる」ことを実感しました。
同じタイミングで、彼は1冊の本と出会いました。
その本の著者がサハラマラソンを走ったときの内容が書いてありました。
あまりにも暑い中で著者がリタイヤしようと思った時、
後ろから盲目の男性が伴走者をつけて歩いてくる。
その盲目の男性に”なぜ挑戦しているのか” 話を聞いたら、
盲目の男性は
「”私は家族を病気で亡くし、私は目が見え
ないのですが、過酷なレースに挑戦することで募金を集めてその募金を病院に寄付している”」
と書いてありました。
そのくだりを読んだときに、
僕はとても感動して、
いつか自分も挑戦を通して誰かのハッピーを増やしたいと思い、
まず過酷なレースにチームで挑戦することを決めました。



映画 そして新会社へ
2014年にサハラ砂漠レースから始まった挑戦が、
ブラジルジャングルマラソン、アタカマ砂漠レース2回、
ペルーイカ砂漠レース、ニュージーランドレースを経て、
2020年4月に行われるナミブ砂漠レースは7回目の挑戦となります。
2014年第2回目の挑戦
「世界一過酷な耐久レースブラジルジャングルマラソン」
にチームメンバーとなった小泉雅央との出会いにより、
ドキュメンタリー映画を創ることになりました。
小泉は、第4回、5回、6回のレースに出場しながら、カメラを回し、
ドキュメンタリー映画「LIFE TREASURE 1」
「LIFETREASURE 2」を自主制作。
全国で自主上映、学校上映をしていただいております。
また2作目は文部科学省選定作品となっております。
挑戦していく中で、一緒に挑戦する人が増え、応援する人もどんどん増えています。
そして、
その中から今度は自分がリーダーとなる人が増えています。
2014年から一緒にさまざまな挑戦をしてきた、
僕(川島)と小泉は、
さらに希望あふれる世界を創っていくために、
たねをまくひと株式会社を立ち上げました。
新会社で、今後継続的にやっていきたいことの一つが
レースを主催し、レースを通して、
きっかけのたねを増やしていくリーダー(たねをまくひと)を生み出して、
どんなときでもハッピーと言い合える世界を創っていくこと。
レースは、競い合うのではなく、
助け合いながら全員が完走できるよな内容にします。
いままで選手で参加したメンバーがチームリーダーになり、
さらに挑戦する人、
応援する人を増やし、
その中から
一緒にたねをまくリーダーとなっていく仲間を増やしていきます。
その第一弾の企画として、
2021年1月にレースを主催することを決めました。



仲間がスリランカのローズクオーツマウンテンに行ったときに、
突然そこにいた僧侶から
「ここに日本人のための瞑想センターを創りませんか?」
と声をかけられました。
そのとき、彼女は
「はい、創ります」
と即答しました。
そして、
ローズクォーツマウンテンに日本のための瞑想センターを建てる
ローズクオーツマウンテンプロジェクトが立ち上がりました。
そのときのツアーを引率していたのが、
今回、スリランカレースを一緒に創り上げている
林旅製作所の林さんでした。
プロジェクトが立ち上がって数ヶ月後、
視察ツアーが開催されることになり、
僕(川島孝一)は何か応援できたらと思い、
視察ツアーに参加することを決めました。
視察ツアーでは、スリランカの自然の美しさ、
暖かいスリランカのみなさんとの出会い、
そしてローズクォーツマウンテンを何十年も一人で守ってきたラフラ僧侶と出会いました。
僕は発信したり募金することで応援させていただきましたが、
そのとき(2017年5月)は数年後に、僕の夢を叶えさせて
いただける場所になることは想像もしていませんでした。
ローズクオーツマウンテンプロジェクトによる、
瞑想センター
「J.Rジャヤワルダナメモリアルメディテーションセンター」は2018年に完成しました
2019年、いよいよレースを主催するタイミングが来たと感じたので、
レースを主催する場所を検討していたときに、
林旅製作所の林さんから
“スリランカなら実現できるかもしれない”
との提案をいただき、2020年1月に視察にいきました。
仲間がつないでくれたご縁





2020年1月視察
「2020年1月視察」
スリランカの大自然、人の温かさ、
仲間が繋げてくれたご縁。
レース開催が実現できるピースがどんどん揃っていき、
視察中にレース開催が決定しました。
レースを通して、
参加費の一部が開催地への社会貢献につながる流れもできました。
そして、何より、日本とスリランカのご縁を知ることができて、
スリランカで開催することで、
僕たちが実現していきたい世界平和の
一歩に繋がることを確信しました。



スリランカと日本の大切なご縁
なぜスリランカで開催するのか
「スリランカと日本のご縁」
いまから71年前に終戦を迎えた日本は、
昭和26年に締結されたサンフランシスコ講和条約によって主権を取り戻しました。
サンフランシスコ講和会議はどうだったのかというと、
連合国側の思惑が錯綜し、
例えばソ連が日本の分割統治を要求するなど、
日本に対していかなる制裁措置を取るかで議論は紛糾しました。
そのような中、会議の流れを一変させる演説が行われたのです。
「憎悪は憎悪によって消え去るものではなく、
ただ慈悲によって消え去るものである」
スリランカ代表のジャヤワルダナ氏は、
仏陀の言葉を引用して国家間の礼節と寛容を説いた上で、
次のように言葉を続けました。
「アジアの諸国民が日本は自由でなければならない
ということに関心をもっているのは何故でありましょうか。
それは日本とわれわれの長年の関係のためであり、
そしてまた、
アジアの諸国民の中で日本だけが強力で自由であり、
日本を保護者にして盟友として見上げていた時に、
アジアの諸国民が日本に対して抱いていた高い尊敬のためであります」
長年西洋諸国に虐げられてきたアジアの民にとって、
大国ロシアを破り独立を守った日本は希望の星だったのです。
そしてジャヤワルダナ氏は、
スリランカが一切の対日賠償請求権を放棄することを明言。
演説が終わると、賞賛の声の嵐で
会場の窓のガラスが割れるほどだったそうです。
これによって日本は特別な制裁を受けることなく、
今日の平和を享受することができたのです。
日本が戦後初めて正式な国交を結んだ国は、
スリランカです。
後にそのスリランカの大統領となったジャヤワルダナ氏は、
遺言に次のような一文を書き残しています。
「自分はこれからもスリランカと日本という二つの国の行く末を見守りたい。
だから、二つの目の角膜の一つをスリランカ人に、
もう一つを日本人に移植してほしい」
この遺言どおり、
片目の角膜は群馬県に住む女性に移植されました。