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マルちゃん


初めてのボランティアをしたのが、40歳のとき。


当時好きな仕事をしていて日々しあわせに暮らしていました。


ある日、軌保博光さん(てんつくマン)と出会い、

彼のドキュメンタリー映画の中のプロジェクトで、アフガニスタンの多くの子供たちが寒さで亡くなっているから、日本から手編みのレインボーマフラーを届けるプロジェクトのことを知って、マフラーを編んで応援することにしました。


ところが、編んでいるうちに、自分がアフガニスタンに行っているイメージが浮かんできて、そのイメージがどんどん大きくなってしまい。これは行くしかないと思い、気がついたら、アフガニスタン行きを進めていました。


当時、内戦していたこと、劣化ウラン弾が投下されていたから被曝する可能性があること、とても危険な状況であることなど、行くにあたって、真剣に考えなきゃいけないと、たくさんの方から言われていましたし、情報もたくさんいただいていたのですが、何に一つ真剣に受け取らず、ただただ湧き上がる思いと、何かに背中を押されている感覚だけを受け取って、てんつくマンとカメラマン二人の仲間にいれてもらって4人でアフガニスタンに向かいました。


ただただその思いと何かに背中を押されている感覚を持ちながら飛行機を降りると、

びっくりする景色が目の前に。


滑走路には墜落した飛行機が放置されているし、空港は爆破され壁などないし、武装した兵士だらけだし、町中に戦車がはしってるし、そんな景色をみてはじめて、すごいところにたどり着いてしまったこと、たくさんの方の助言やいただいていたたくさんの情報をまったく受け取っていなかったことに気づきました。でも、もうそんなことを後悔したり、考えたりする時間なんてありませんでした。そこからはとにかく気を引き締めて、無事に目的を果たして、無事に帰国することだけに意識を向けるしかありませんでした。


私たちの無知さから暴動がおきてしまったり、

自分たちの思いが試されることが多々ありましたが、

出会ったアフガニスタンの人たちがとっても素敵でした。親日家で美しい人たちでした。


また、現地で私たちを受け入れてくれて、支援先などコーディネートしてくださって、私たちを守ってくださった方たちのおかげで、マフラーを届けることができ、無事に帰国できました。


そんな中で私自身はあの活動を通して

言葉では表現できない

とてつもない喜びが湧き上がりました。


私って、ここで喜びを感じるんだ!

私って、ここで感動するんだ!

私って、こんなことが好きなんだ!

私って、ここでチカラがでるんだ!


って、まだ出会ってなかった自分に出会えました。


そこが、私の人生の分岐点になりました


どの道を選んでも大丈夫

でも、ほんのちょっとでも

どっちに行きたいかを

選択をするチャンスをいただきました


そして選択したのが

当時の仕事をやめて

てんつくマンとNPO(当初はNGO)を立ち上げて活動することでした。


そのおかげで、たくさんの経験をさせてもらって、たくさんの仲間ができて、

こうちゃんという最高の人生のパートナーと出会えて、一緒に素敵な人生を歩ませてもらっています。


そして、今回は選手として一緒にレースに出場します。私の挑戦が誰かの勇気につながったら嬉しいし、これからもたくさんの人と一緒に素敵な思い出をたくさん作っていきたいと思います。



PS: 危険なところに行くときは、情報収集は大切です。私のような能天気さはその場合は全く必要ないと思います☺️

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