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ヨッシー


中学から、舞台や映画の世界で活躍したいと思っていて

「俺!将来は役者になるから!家業の保 育園は継がねーよ」

(実家は保育園を経営している)と親父に宣言して、

大阪のタレント養成校に 通って

(かなりの月謝がかかっていて、高校3年間、毎週日曜日、兵庫の田舎から、電車で通っ ていた)

その当時3年間通った成果は、、、


ローカルテレビドラマのよくある通行人Aの役を一回 しただけ、、、。

それでも演技を学びたいと大阪の演劇が学べる学校に入学したけど

(これまたかなりの学費を両 親に支払ってもらう)大学デビューが楽しくって、

ぼやっと将来を考えて4年間を過ごし、卒業し てプータロー生活をして、

口だけは『役者をしてます』、、、なんて言っていたり。


当時の自分に 「ああ、、恥ずかし」と思うばかり。

親に「稼業の保育園は継がないから!」と言ったのに、

25歳に役者の夢は簡単に諦めて、就職 を試みたが、就職先が1つも見当たらなく、努力して就職先を探そうともせず。


最後には「お父さ ん、保育園で働かしてください!」などと都合の良い事を父にお願いする。(本来ならバカヤ ロー!お前役者になるんだろう!保育園やらねーって自分から言ったのに、何を今更言ってんだ よー!このヤロー!と言われるはずなのに、すんなりOKを出してくれた両親、、、) 本当に当時の自分って、なんてヤローだ!と改めて感じる。

保育園で働き始め5年がたった時、両親が他界(母は病気で、父も持病の悪化で1年で父と母が なくなる経験をすることとなった。)悪いことは続くもので追い打ちをかけるように従業員や保 育園の先生が次々とお辞めに、理由を聞くと「あんたに雇われた思いはないっ!」とグサリと心 を突き刺す本音の言葉、結構きつかった思い出。

でも、その時助けてくれ、力になってくれたのが、今も一緒に働く仲間や、応援してくれた友達。 おかげでアップダウンはあるけど今は楽しく仕事ができている。

こうちゃんやチームAHOの出会いも、チームの挑戦が自分のささえになってくれた、一瞬でファ ンになったし、自分の背中を押してくれる存在のチームAHO!そんなチームに今度は自分は参加 して挑戦することになろうなんて思っていなかったけど、今回チャンスを頂いた。 コロナ禍でほんとは2年前に行くはずだったけど、「諦める」を選択しなくてよかった。本気で 挑戦している自分を見てみたいし、応援していただく皆さんの背中を今度は自分が押させて頂く そんなチャンスをいただいた。

今、人生を振り返ってもなんだか顔が赤くなる若かりし時代だったなと、、本当によくもまあ、 自分の戯言に・お金も・時間も・理解も沢山のOKを出してくれた今は亡き両親に『ごめんね』と 『感謝』しか無いし、こんな自分だけど、見捨てずに助けてくれた仲間や友達、チームAHOにも 感謝しかない、自分自身だいぶん失敗した人生を過ごしたと思うけど、愛情を注いでくれる人や 助けてくれる人、背中を押してくれる人は誰にでも必ずいると、だから失敗しても(その時は大変 かもしれないけど)意外と大丈夫と思っている。


大きな失敗はむしろ新しい自分になれるチャン スだと思っている。

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